2009年6月3日水曜日

カンキョーモンダイと食べ物

日本にいる、「カンキョーモンダイ」や「発展途上国のヒンコン」の問題に関心のある人で、果たしてどれだけの人が、


自分の食事と、上のことが密接に関係しているとちゃんと認識しているだろう。

ぼくは事実としてなんとなく聞いたことはあっても、ちゃんと認識したことはなかった。

たぶん今でも本当に認識したとは言えないだろうけど。

でも、ちょっと前よりは認識できてると思う。

日本の田舎の、「雑草がぼうぼうの空き地」を見て、そこで耕作をしている人の話をきいて、実際にやってみて、少しは考えられるようになってきた。

食糧について

自分が体験したり三枝さん(cf http://kyouiku-gakusya.itrobo.net/nikki/nikki09-1.html)に聞いたりして考えたことをちょっと書きます。





ここ=共育学舎には2年ほど前から来ていたけど、

ここに来るようになるまでは農業のことにはあまり関心がなかった(農学部だったくせに笑)。食べるものは、お金を得て買えばいいんちゃうかなーとかなんとなく思っていた。

それよりも、なんとなく、自分の好きな範囲内の「カンキョーモンダイ」に興味を持っていた。



今、日本は(世間でどう言われているかは別にして)現状数値的には、少し前の自分と同じように、

「食べ物は、お金を得て買えばいいんちゃうかなー」という状況だ。

どういう事かというと、

(米は自給してるけど)食糧全体としては、自給率が低い。

そして、食糧以外のモノ=自動車とか、精密機械とか、なんとかシステムとか、なんかのサービスとか、そういうモノを外国に対して売って、お金を得て、そんで食べ物を輸入してる。んだろうたぶん(あんまり自信ないので間違ってたら教えてください~)

これが問題かどうかとか、そんなに深く考えてはいなかった。

でも、最近は「なかなかちょいと問題だー」と思うようになった。

まず、

・「カンキョーモンダイ」のことを考えたときに、遠くからモノを運ぶのはエネルギー的に結構無駄が大きい。

・日本では土地や気候的に、農作物をつくる条件としては整っている。

・輸入される作物は、外部に「売る」ことを意識して作られているため、その土地に住む人のことを、その土地それ自体のことをがあまり考慮されていなかったりする。



ある「発展途上国」で換金作物を大量生産して輸出していて、

もしその国が食糧難に陥っているとすれば、それはなぜか?



輸出なんてせず、換金できる商品作物なんてそんなに大量に作らずに、

自分たちで食べる作物をつくればいいのに。と思う。



それをしない裏には、「輸出させられている」=輸入したい強い力を持った国がいる という事情があるだろう。


こっちは、少なくとも「自分達で食べていく」ことはやろうと思えばできるのに。「自分達で食べていく」ことが難しいところから、食べ物をお金で買う。


日本は間違いなく、この「強い力」を持った国だ。


そして自分も含めて、この日記を読んでいる多くの人は、その日本で、どちらかというと

「自分の生活にあまり問題はない」という意識で生活しているんじゃないだろうか?

もしくは、意識の上では問題あり、と思っていても、行動としてはそんなに変わらない。

そうしていられるのはなぜか?



食べ物に関して言うなら、日本では、多くの人が都市に住んでいるからだろう。

いくら、特別なラベルの貼ってあるものでも、「フェアトレードです」って貼ってあっても、スーパーに並んでいれば、料理屋ですぐ食べれる状態になってでてくれば、その後ろにある世界を、自分とつながった世界として、リアルにイメージすることは、少し難しいように思う。


街では、作物を作っている現場は見えにくい=「食糧難」(日本でなくても海外でも)、「カンキョーモンダイ」そういうものとのつながりの実感が得にくい。



でも、今間違いなく日本中に、まだ、食糧を生産している場所はあるし、と同時に、

どんどん耕作が放棄されていく場所もある。

ということは、どういうことか?




今、まだまだ大して環境の事が考えられていないこの世界で、

日本に「雑草がぼうぼうの空き地」=耕作放棄地があるとき、

それは、海外のどこかの国で、黙々と「自分達の生活を守るために必死で商品作物をつくる」という「カンキョーハカイ」が行われていること、それを手伝っていることを意味する。
とは考えられないだろうか?

こんなことを書いているが、自分自身は、特に「ツミノイシキ」とかそういうものは感じない。
ただ、以前の自分より少し、認識できるようになった。
今まで認識していなかった人が、この日記を読んで、
「隠れている何か」「見えなくなっている何か」 を、見ようとすることを期待します。

ありきたりの、よくある内容かもしれないけど、

少なくとも、自分が今、こういう認識をしている。
そんで、その認識を書いてはっきりさせることが、


間違っていると指摘してもらえるなら新たなる認識につながることに、
そんなに間違ってないなら次の自分の行動につながっていくことに、


期待します。

おしまい。

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